俺のばぁちゃんは、スーパーサイヤ人
お題
「余命2ヶ月のおばあちゃん.」
(記憶としてここに、のこしておこう。)
昨年2016.11.10あたりの事
その日、すっかり記憶から消えていた、トイレの神様♫を鼻歌していた。
その夜、長女から連絡が入り、
おばあちゃんが余命2ヶ月、、、と。
肺癌末期で即入院、、、と。
俺は小3から3年間、おばあちゃんと暮らして、おばあちゃんに育ててもらった。
そりゃぁー、その当時は、
ワガママになりますよ。
喧嘩もしますよ。
スーパーデブになりますよ。
ある日、
ばあちゃん!アレ買ってきて!というと、買いに行ってくれたばあちゃん。
帰ってきたら、腕も脚も傷だらけ。
どしたーーん?と聞くと、
「あんたがアレ欲しいゆうから買いに行って、自転車にぶつかりそうなって避けたら溝に落ちたんやっ!」
OMG.
他にたくさんいろいろあったうちのヒトツの思い出話だ。煮て食べるくらい、俺とばあちゃんのネタはある。(笑)
でも、姉から連絡来た時は、逢いに行くか、行かないか、凄く躊躇った。
普通の家庭なら、真っ先にいくのが普通だろう。
だけど、子供のときは、そういう環境ではなかった。母、姉たちの生活すらわらかない生活。
今では面白おかしい複雑な環境だった。
だが、次女も背中を押してくれて、少し気持ちが楽になり、逢いにいく決意を固めた。
元気なばあちゃんしか知らなかったら、会うのが凄く怖かった。
昔っから、自分に厳しく人には優しくのばあちゃん。
ばあちゃんは、すごく俺も守ってくれてた^ ^
チビのとき、兄弟にバチバチにしばかれてるとき、ばあちゃんは、セロテープの芯をナックル変わりにバトルしてくれたり(笑)
なんせ、気は世界一強いかも。
そんな ばあちゃんに対して
医者が驚く程の強さを持つばあちゃん。
肺癌末期だと、痛くて苦しいのが普通なのに、一言もソレを発した事がないばあちゃん。
だから、看護師は認知が入ってるという。普通の患者はそうらしい。
けど、、、
よーーー喋る!
ツッコム!
よく笑う!
記憶も鮮明にある!
そして、毎日入れ替わり立ち代り見舞客が来るために、周りの患者さんたちが、ひがんだり羨ましがったりで、部屋移動までしたという。(笑)
スーパーアイドル級。
ただ、一週間前にテレビ電話で話した時と様子が違う。
やはり、進んでいるのだ。
なんか食べるか?と聞いたときは、
食べたいけど、食べられへん。。。とボソリ。
さすがに、その瞬間は病室を無言で出て、しばらく戻れなかった。
気持ちを持ち直し、
外出試みたが、
「シンドイからいい。」
「次、来た時いこか^ ^だからまたおいで!あと三年は大丈夫や!」
ばあちゃん、逆に俺を心配させないように振舞ってる。
よっしゃ、ほんなら次きた時、ばあちゃんの好物のハマチ釣りにいこか!と言うと、
ハマチえーなぁー^ ^。
やはり、食べるのは好きなんや(笑)
そんなこんなで、1時間くらい過ごして、病院を後にした。
もう、
もう、
もう、これでおばあちゃんと逢うことはないと思う。
コレでいいんだ!
だから、
おばあちゃんに何が起きても、悔いはない!
今まで人のために生きてきたばあちゃんは、すごく幸せな顔にもなって、寝顔も微笑んでるようだった。
ばあちゃんの卒業式まで、あとどれくらいもつかわからない。。。
けど、何があろうと俺はもう動じない!
ばあちゃん!
卒業するまで、みんなのアイドルで居るんやでぇー^ ^
と、病院をあとにした。。。
そのとき、
ふっと、振り返った瞬間、
本当に会ってよかったんだろうか。
と一瞬彷徨った。
閉ざしていた、その当時の仮面を被って生きてた記憶が、次々と蘇って来てしまった。
でも、コレは時間が経てばまた、閉ざすことはできる。
でも、もしこうなったらどうしよう、、、という、ずっとどっかにあった心のつっかえが取れた気がする。
ばあちゃんの笑顔も見れたし、声も聞けたし、肌の温もりも感じれたし。
俺の中では、やっと、おばあちゃん孝行出来た!
ばあちゃん、、、ありがとう.
そして、会いに行った翌日、、、
2016.11.21
おばあちゃん 93歳
卒業、、、
ばあちゃん
ありがとう。
待っててくれたんやな。
入院してから約2週間辛かったはずやのに
「冥土の土産に逢いに行くから待っててやー!」
と伝えてから、相当シンドかったやろう。
最後の最後まで、
手やかしてしもたな。
ありがとう。
ばあちゃんの記憶、存在はずーっと俺の身体にあるから、俺は悲しまへんで!^ ^
やっとゆっくりできるな^ ^ばあちゃん。
もう、何にも気にせんと、
ゆっくりするんやで。
ありがとう、、、
ばあちゃん。
そして最後に一緒写真を撮った時の話。
相当カラダはキツイのに
「ばあちゃん写真撮るでー!」
と言ったら、自力でパッ!と起き上がってきたばあちゃん^ ^アイドル魂(笑))
ばあちゃん、、、おやすみ。